放蕩息子の話
自分の弱さと人への優しさ
今読んでいる本の中に、放蕩息子の話が載っていました。この放蕩息子の話ですが、聖書にでている有名な話です。実は、こう見えて、カトリック系の高校をでています(笑)。なので、聖書の時間が毎朝あって、この放蕩息子の話は、毎年毎年読んでいたので、ストーリとしては、覚えていました。
放蕩息子の簡単なストーリ
ある親子に2人の兄弟がいて、ぐうたらな弟は、親のお金をたくさんもらって、ぷらぷらとでていってしまいます。その後、もらったお金を使いはたしてしまった際に、その弟は、親の元に戻ってくるのです。その間、兄は、お父さんの下で、勤勉に仕事にうちこんでいます。戻ってきた弟に対して、お父さんは、いい服を与え、食べ物を与え、手厚くもてなすのです。そして、その弟に対して、兄は、自分はまじめに働いていたのに、ぷらぷらしていた弟をかわいがるなんて…というわけです。
と、あまりに、簡単にまとめちゃいました。詳細を知りたい方は、「放蕩息子」で検索してみてください。
父とは神のこと
ストーリとしては、知っていましたが、その書籍を読んでいて、「あーそういうことか。」そして、ちょっといまの自分に響きました。(恐らく、聖書の時間で解説はあったとは、思いますが、まったく残っていないですね^^)
ここで、いう父とは、神のことをいいます。寛大なる神は、道を謝った自分(=弟)を無条件で受け入れるわけです。そして、人間(=兄)は、そういった弟の行動に対して、許されることが納得できないで怒ってしまうわけです。
人を許す
人は、いっぱい過ちを起こします。そして、弱さもいっぱい抱えています。強がりもいっちゃいますけどね。人間は、神じゃないので、なかなか人を許すことができないことも多いです。が、過ちを認め、戻ってきたときには、許せる人間、受け入れるられる人間にならなきゃいけないのだと。
どんな過ちなのか、どんな受け入れ方なのか、恐らく、人によっては、異なるとは思うのですが、「受け入れる」。この一言に尽きるのだと思います。
本の一節を読んで思いました。
最近のコメント